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宇都宮地方裁判所 平成3年(わ)451号 判決

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中四三〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、栃木県足利市で出生し、市内の中学校を卒業後、縫製工などとして働いていたが、昭和五三年からは保育園の園児送迎バス運転手をするようになり、平成二年からは幼稚園に移って同じくバス運転手として働きながら、市内家富町の自宅で父母らと暮らしていた。

ところで、この間の昭和四九年一一月、被告人は、見合いで知り合った女性と結婚式を挙げ、同居したものの、心因反応による性的不能で性交渉が持てなかったため、正式に婚姻手続をすることなく三か月程で別れるということがあった。被告人は、このことで惨めな気持ちとなり、今後女性とうまく肉体関係を持つことはできないと考えたが、却って、性欲を満足させたいという気持ちは強くなり、昭和五二年九月ころになって、市内福居町に家を借りた上、わいせつ雑誌やアダルトビデオテープ、あるいはマネキン人形やダッチワイフ等の道具を多数借家に買い込み、週末になると一人でそこに寝泊まりしては、ビデオを見たり、これらの道具を使って遊ぶなどして性欲の処理をするという生活を続けるようになった。また、被告人は、知的能力に恵まれず、内向的で人付き合いを好まなかったことから、結婚に失敗した後は成人女性と交際することもなく、勤務先である保育園や幼稚園においても、保母ら職員と交流することはほとんどなかったが、園児とは喜んで遊び、その際、特に年長組の女児に対して性欲を覚え、その裸体姿を見たり、体に触れたりしたいとの欲望を抱くこともあった。

被告人は、昭和六一年ころからパチンコ遊戯に耽るようになり、週に数回はパチンコ店へ通っていたが、平成二年五月一二日、その日の勤務を終え、午後二時三〇分ころ自宅を出て、同市伊勢南町所在の行きつけのパチンコ店「ニュー丸の内」へ自転車で赴き、同店で遊び始めた。ところで、同店と同一敷地内にあるパチンコ店「ロッキー」には、同日午後五時五〇分ころから、四歳の女児であるM1(以下「M1」ともいう。)が、父親とその同僚に連れられて遊びに来ており、同児は、前日同店付近で知り合った男児と遊びたいと思っていたものの、その日右男児が来ていなかったこともあって、父親らがパチンコ遊戯をしている間、同店前の駐車場やその南側の駐車場で一人で遊んでいた。やがて、午後七時近くになり、被告人は、「ニュー丸の内」店内で出玉を景品に替えてもらった後、「ロッキー」南側駐車場の一角にある景品交換所へ行き、景品を現金と交換して自転車で福居町の借家へ向おうとしたが、そのとき、同駐車場で一人しゃがみこんで遊んでいるM1を認めた。

被告人は、同児のことを三、四歳くらいで、近所に居住するか、パチンコ店の客が連れてきた子だろうと思ったが、丸顔でかわいらしい子だと思い、遊ぶ姿を眺めているうち、同児の身体をなめたり性器を弄ぶなどして自己の性欲を満足させたいとの気持ちになり、近くに大人もいないし、幼稚園児らと遊んだ経験から幼児であれば声もかけやすく、抵抗されることなしに誘い出せると考え、同児を誘い出した上、人気のない場所へ連行し、わいせつ行為をしようと考えるに至った。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  平成二年五月一二日午後七時ころ、栃木県足利市〈番地略〉所在のパチンコ店「ロッキー」の南側駐車場において、同店の客M2の長女であるM1(昭和六〇年九月一二日生れ、当時四歳)が一人で遊んでいるのを認め、同児にわいせつの行為をする目的で、これを誘拐しようと企て、同児に対し、「自転車に乗るかい。」などと声をかけて自己が運転する自転車の後部荷台に乗車させ、右自転車を運転して同所南側にある渡良瀬運動公園に入り、同公園内の道路を走行して、同公園内サッカー場西側角付近の三叉路に自転車を停めて同児を降ろし、同所から三〇メートル余り南西方にあり、同公園からは見えにくい位置にある、同市〈番地略〉付近の渡良瀬川河川敷内低水路護岸上まで約六〇〇メートルにわたり同児を連行し、もって同児をわいせつの目的で誘拐し、

第二  前記日時ころ、同児にわいせつ行為をすると騒がれて人に気付かれるおそれがあるからわいせつ行為をする前に同児を殺害しようと考え、同所において、同児の前面にしゃがみこむようにした上、殺意をもって、やにわにその頸部を両手で強く絞めつけ、その場で同児を窒息死させて殺害し、

第三  同児の死体を付近の草むらまで運んで全裸にし、同日午後七時三〇分ころ、右死体を、前記殺害場所から直線距離にして南西約九四メートル離れた渡良瀬川河川敷内の草むらに運んで捨て、もって死体を遺棄し

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(事実認定の補足説明)

一  事件の経緯及び争点の概要

平成二年五月一二日夕刻、四歳の女児M1が栃木県足利市内のパチンコ店付近で行方不明になり、翌日午前一〇時二〇分ころ、同市渡良瀬川河川敷草むらに全裸で遺棄された同児の死体が発見され、付近川底に投棄されていた同児の半袖下着に精液が付着していることなどが判明した。警察は、その後一年以上にわたり捜査を続ける中で、被告人が捨てた精液付着のティッシュペーパーを領置し、これと右下着とを警察庁科学警察研究所に送付して鑑定を嘱託したところ、両者に付着した精液の血液型(ABO式でB型、ルイス式でLe(a-b+)型:分泌型)とDNA型(MCT118部位が16―26型)が同じであり、このような同一の血液型及びDNA型の出現頻度は一〇〇〇分の1.2である旨の鑑定結果を得た。そこで、右結果などに基づき、平成三年一二月一日、警察官が被告人を取り調べたところ、被告人は犯行を自白し、通常逮捕された。

被告人は、捜査、第一回公判期日での罪状認否及びその後の公判手続の各段階において、公訴事実を認めていたが、第六回公判期日における被告人質問の途中から一転して犯行を否認し、第七回公判期日からは再び犯行を認めるようになり、第九回公判期日の最終陳述においても犯行を認めたものの、本件公判が一旦結審した後の平成五年五月三一日付けで、弁護人に対し、自分は犯行に関わっていない旨の手紙を出し、弁論再開後の第一〇回公判期日でも犯行を再び否認した。また、第五回公判期日における被告人質問などでは、M1殺害の事実は認めたものの、わいせつ目的や殺意がそれぞれ生じた時期について捜査段階と異なる供述をした。

他方、弁護人は、公訴事実について被告人と同様の主張をする一方、DNA型分析による人の同一性識別(以下「DNA鑑定」ともいう。)については、その信頼性が確立されておらず、外国において証拠能力を認めなかった例もあること、MCT118型の鑑定は、科学警察研究所のみで行われており、他の機関による批判的検討が困難であること、同一型DNA出現頻度に関する統計についても、人種による差異といった問題があることなどを指摘して、その証拠能力が否定されるべきであるとし、右鑑定結果を除けば、本件犯行を認めた被告人の自白に補強証拠がない以上、被告人は無罪であると主張している。

そこで、以下、まず、DNA鑑定の証拠能力と信用性について検討し、その後に被告人と犯行との結びつき及びわいせつ目的や殺意が生じた時期について検討する。

二  DNA鑑定の証拠能力及び信用性

1  DNA鑑定の概要

前掲各証拠によれば、DNA型分析による人の同一性識別の概要は、以下のとおりである。

(一) DNA(デオキシリボ核酸)は、細胞核中の染色体内にある遺伝子の本体であり、二つの紐を組み合わせたようならせん構造となっているが、それぞれの紐に相当する部分には、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)及びチミン(T)という四つの塩基が様々な順序で並んで結合している。DNA鑑定は、右塩基配列の仕方が個人個人で異なっているだけでなく、同一人物から採取された組織であれば、組織の場所や採取された時期を問わず、DNA型が変わらないことに着目して、これを基に個人識別を行おうとするものである。警察庁科学警察研究所においては、現在、特定染色体の特定部位におけるDNAの塩基配列を分析することによって個人識別が行われており、右識別可能な部位として使用されているものとして、MCT118、HLA―DQα、YNH24、CMM101と名づけられた部位がある。

(二) MCT118部位は、ヒト第一染色体の短腕部に存し、塩基が「GAAGACCACCGGAAAG」という一六個の配列を一単位として繰り返し並んでいる部位であるが、右繰り返しの回数は人によって様々である。そこで、犯人が遺留した体液等から分析された繰り返し数と被告人の体液等の繰り返し数が異なれば、犯人と被告人との同一性を否定する重要な事情となるし、また、繰り返し数が同じであった場合、各繰り返し数の統計的発生確率を求めることによって、被告人が犯人である可能性の程度について明らかにすることができる。

(三) MCT118部位の分析方法は、以下のとおりである。すなわち、細胞からたんぱく質等の部分を除外してDNAを抽出し、これを加熱して二本の鎖状に結合していたDNAを一本の鎖状に解離させ、二八塩基と二九塩基の二種類プライマー(試薬)を各鎖部分のMCT118部位に結合させて同部位を探し出した上、DNA合成酵素によって同部位を正確にコピーし、これを繰り返すことにより同部位を数千万倍に増幅させる(PCR増幅)。増幅された同部位をゲルに入れて電位をかけると、DNAは電気的にマイナスの性質を持っているから、同部位もプラス側方向に移動する(電気泳動)が、塩基配列の繰り返し数が大きいものは分子量が大きいため移動速度が遅く、繰り返し数が小さいものは逆に早くなるため、繰り返し数によって移動距離に差が生じる。これを画像解析装置を用いて分析することにより、同部位の塩基配列の繰り返し数がわかることになる。

(四) DNA型が一致する確率の算出方法は、以下のとおりである。すなわち、ヒト第一染色体は、父母に各一本ずつ由来する染色体二本で構成されており、MCT118部位も父母それぞれに由来する二つのものがあるから、塩基繰り返し数も、右二つの部位毎に独立の値を得られることとなる(もっとも、父母から得ていたMCT118部位の塩基繰り返し数がたまたま同じということもある。)。そして、日本人の非血縁者から無作為に選び出した者のMCT118型を分析した結果、本件鑑定書作成時点において、日本人における繰り返し数は一三回から三七回までの二五通りが発見されており、それぞれ異なった出現頻度を有している。したがって、一人の人間に存する二つのMCT118部位の型には、三二五通りの組み合わせが存在し、それぞれ毎にさらに細かな出現頻度を導き出すことができることとなる。

2 DNA鑑定の証拠能力

(一)  DNA鑑定の一般的信頼性

前掲各証拠によれば、DNA鑑定による個人識別は、一九八五年にイギリスの学者ジェフリーズにより初めて開発され、研究が本格化したこと、MCT118型によるDNA鑑定は、微量な資料でも鑑定できる犯罪捜査向けの方法として開発されたものであり、一九九〇年になって使用されるようになったこと、国内においては、現在科学警察研究所だけで実施されていることが認められる。これらの事情によれば、同鑑定方法の歴史は浅く、その信頼性が社会一般により完全に承認されているとまでは未だ評価できないというほかない。

しかしながら、先にも見たとおり、同鑑定方法は科学的な根拠に基づいており、また、前掲各証拠によれば、MCT118型分析によるDNA鑑定は、他の方法につきアメリカで指摘された技術的問題を克服するために開発された方法であること、同研究所では、平成四年三月までに六三件のDNA鑑定がなされているが、本来のDNA型と異なる型が検出されたという問題は生じていないこと、法生物学などの基礎知識を有する者に対して六か月ほどの研修を行えば検査技術を習得できるし、同研究所以外の検査機関によっても追試可能であることが認められる。

また、向山明孝証人は、DNA鑑定において、DNA増幅以降の手順はかなりシステマティックにでき、大きな誤りが生じる部分はないが、資料を採取してDNAを抽出する段階で不純物の混入なく必要量のDNAを得ることについては慎重さを要する旨証言するので、その点についてみると、同証言によれば、MCT118部位はヒトに特異的な部位であり、これまで調査した限りでは他の生物細胞による鑑定への影響は考えられないこと、MCT118部位の増幅のためにはある程度のDNA量が必要なので、捜査官らが資料に触った程度でその者に由来する細胞が鑑定に影響を与えることもないこと、仮に他の者の細胞が混入、増幅されても、二人分のDNA型が検出されることとなり、当該資料が有している本来のものと全く異なるDNA型が検出されるという誤りは生じないこと、そもそも他の細胞の混入を防ぐために、検査者自身が手袋を使用する等の対策を講じており、また事前に検査を行い、他細胞の混入の有無を明らかにしていることが認められる。

さらに、DNA型の出現頻度の点についてみると、前掲各証拠によれば、本鑑定においてDNA型の出現頻度を算出する基礎となった血縁関係者を除くサンプルは三八〇例だったことが認められるが、向山証言によれば、この程度のサンプル数でも、単一目的だけを統計処理する場合には生物学統計上特に問題はなく、その後一〇〇〇例近くまでを基礎に分析した結果においても、出現頻度分布は同程度であったことが認められる。

そうすると、DNA鑑定に対する専門的な知識と技術及び経験を持った者によって、適切な方法により鑑定が行われたのであれば、鑑定結果が裁判所に対して不当な偏見を与えるおそれはないといってよく、これに証拠能力を認めることができるというべきである。

(二)  本件におけるDNA鑑定

そこで、本件のDNA鑑定について検討するに、前掲各証拠によれば、鑑定経過について以下の事実を認めることができる。

本件において鑑定を行ったのは、警察庁科学警察研究所技官向山明孝と同坂井活子である。向山は、東京農業大学大学院修士課程を終了した後、同研究所法医研究室に入所し、農学博士の学位を取得した後、昭和六二年三月から平成四年三月まで同研究所法医第二研究室長の職にあって、法医血清学の専門家として研究等を行い、研修教育に当たってきた者であり、その間約五〇〇件の鑑定を行い、DNA鑑定については前記六三件のうち二二件を担当した経験があるほか、同研究所が作成したDNA型分析の解説書を編集している。また、坂井は、同解説書を執筆した者の一人である。

右両名は、平成三年八月二一日付け栃木県警察本部長嘱託に基づき、被害者の半袖下着に付着していた精液及び被告人が捨てたティッシュペーパー五枚に付着していた精液(この精液が被告人のものであることは、証拠上明らかである。)のDNA型鑑定を行った。このうち、被害者の半袖下着から採取した精液量が微量であったため、本件ではHLA―DQα型など他の検査を行うことができず、MCT118型のみの検査となった。

右半袖下着は、M1が殺害された翌日に渡良瀬川の水深約一〇センチメートルの川底から発見されたものであるが、背部から裾部にかけて七か所の精液斑痕があり、酵素学的検査、細胞学的検査及び血清学的検査等を行ったところ、右部位には少量のヒト精液のみが付着していることが判明した。精子は腐敗しておらず、またMCT118部位の鑑定に必要な程度の量が付着していた。右半袖下着及びティッシュペーパーに付着した精液斑をたんぱく質処理等してDNAを抽出精製し、PCR増幅を行った上、ポリアクリルアミドゲル電気泳動を行い、MCT118型を検出したところ、いずれの資料からも16―26型(一六回の繰り返し塩基配列と二六回のそれを有する型)が検出された。右一連の検査は、向山と坂井がそれぞれ別個に二度のチェックを行ったが、いずれからも同じ結果が得られた。

そこで、鑑定時までに明らかになっていたMCT118型の出現頻度を基に、前記16―26型の出現頻度を求めたところ、16型の出現頻度は4.7パーセント、26型の出現頻度は8.9パーセントであり、したがって、16―26型の出現頻度は0.83パーセントと算出された。さらに、被告人の血液型を構成するB型の出現頻度が22.1パーセント、Le(a-b+)型:分泌型のそれが67.88パーセントであることを基に計算すると、以上の血液型及びDNA型を持った者の日本人における出現頻度は、一〇〇〇人中1.2人程度であると算出された。

なお、右両名は、平成三年一二月五日付け栃木県警察本部長嘱託に基づき、被告人の血液についてのDNA鑑定を右同様の方法により行い、やはりMCT118型につき16―26型が検出されている。

3 結論

以上検討したところによれば、本件においては、専門的な知識と技術及び経験を持った者によって、適切な方法によりDNA鑑定が行われたと認められるから、右各鑑定結果が記載された平成三年一一月二五日付け及び同年一二月一三日付け各鑑定書に証拠能力を認めることができる。また、右一連の経過において、鑑定結果の信用性に疑問をさしはさむべき事情が窺えないだけでなく、鑑定が適切に行われ、それぞれ別個に行われた検査において同一結果が出たことからみても、DNA型が同一であるとの鑑定結果は信用することができる。さらに、右DNA型の出現頻度に関する判断についてみると、今後より多くのサンプルを分析することにより出現頻度の正確な数値に多少の変動が生じる可能性があるとしても、先に検討した事情に照らせば、その数値はおおむね信用することができる。

三  犯行の状況について

1 被告人と犯行との結びつきについて

被告人は、当初犯行を自白していたが、最終的にこれを否認するに至ったので、以下、被告人と犯行との結びつきについて検討する。

(一)  前掲各証拠によれば、M1の半袖下着に付着していた精液と被告人の精液のDNA型と血液型は、いずれもDNA型(MCT118型)が16―26型、血液型がB型及びLe(a-b+)型:分泌型である点において一致していること、日本人における同一のDNA型及び血液型の出現頻度が一〇〇〇人中1.2人程度であること、M1のパンツに付着していた陰毛一本と被告人が任意に提出した陰毛二〇本について形態的検査、血液型検査及び元素分析検査を実施したところ、両者の形態には、顕微鏡的色調や毛先の形状に若干の差異が認められるものの、後者の形態的特徴である毛幹部の太さが細い点で両者は形態的によく類似し、その他の諸形態も両者はよく類似していて高い形態的類似性が認められ、また、両者の血液型はB型で一致しており、前者について元素分析の検査を行ったところ、塩素のX線強度の比較並びにカリウム、カルシウムのX線強度及びこれらの示すX線スペクトルパターンの比較においても、前者の分析結果は後者の分析結果とよく類似しており、以上の検査の結果から、両者の間には極めて高い類似性が認められたこと、被告人は、性的不能のため結婚に失敗し、以後成人女性と交際することができず、借家に多数のアダルトビデオやダッチワイフ等を買い込み、これらで遊ぶなどして性欲を処理する生活を送っていたこと、被告人は内向的で、事件当時勤務していた幼稚園では職員と交流することはほとんどなかったものの、園児とはよく遊んでおり、その遊び方にしつこさを感じた園の経営者から不安を持たれ、一年だけで雇用を打ち切られていたこと、パチンコが好きで、犯行時期にもパチンコ店「ニュー丸の内」や「ロッキー」に出入りしており、また犯行現場付近についての土地鑑も有していたことが認められる。

ところで、前記同一DNA型などの出現頻度に照らすと、人口一〇万人あたり一二〇人の同一型を持つ者の存在が推定されるだけでなく、地域の閉鎖性の程度等によっても出現頻度が異なる可能性があるのではないかと考えられ(例えば、足利市周辺において、16―26型が日本人平均におけるそれよりも高頻度で出現する可能性がないと認めるだけの証拠はない。)、その意味において、同一DNA型出現頻度に関する数値の証明力を具体的な事実認定においていかに評価するかについては慎重を期す必要がある。しかしながら、この点を念頭に置くにせよ、血液型だけでなく、三二五通りという著しい多型性を示すMCT118型が一致したという事実がひとつの重要な間接事実となることは否定できず、これに先に上げた諸事実をも併せ考慮すると、本件においては被告人と犯行の結びつきを強く推認することができる。

(二)  そこで次に、被告人の自白の信用性について検討すると、前掲各証拠によれば、被告人は、本件により初めて取り調べを受けた当日に犯行を自白し、以後捜査段階においては一貫してこれを維持し、公判でも最終段階に至るまでほぼ自白を維持していたのであり、途中、M1を誘い出した目的など犯行の状況について捜査段階と一部異なる供述を法廷でした際にも、M1殺害という犯行の基本的部分についてはこれを認めていたこと、右自白に際して捜査官の強制や誘導が行われたことを窺わせる事情はないこと(検察官作成の捜査報告書からは、被告人は自発的に供述していることが認められる。)、捜査官や裁判官に対してだけでなく、弁護人に対してもほぼ一貫して事実を認めていたことが認められる(なお、被告人は、精神鑑定を行った医師に対しても、同様の供述を行っている。)。

また、自白内容についてみると、例えば、第一回公判期日において、証拠物であるM1の着衣についての記憶の有無を尋ねられた際に、記憶にある物とない物、あるいはおおむね記憶に残っている物をそれぞれ区別して述べるなど、供述内容は捜査、公判段階を通じて相当具体的であるとともに、その内容は自然であって、格別疑問を差しはさむべき点は認められない。

そうすると、本件犯行を認めた被告人の自白は信用することができ、先に挙げた事情とあいまって、被告人がM1の殺害等を行ったと認めることができる。

(三) なお、被告人は、本件による起訴後間もない時期から、被告人の兄弟等に宛てた手紙に自分は無実である旨書いていたことが認められ、第六回公判期日の被告人質問において、裁判長や検察官の質問に対しては犯行を認め、申し訳ないことをしたなどと述べていたものの、その直後に弁護人から右手紙について質問されてからは一転して犯行を否認し、第七回公判期日で再び自白に転じた。そして、犯行を認めたまま第九回公判期日で一旦弁論が終結したものの、被告人はその約二か月後に再び犯行を否認する旨の手紙を弁護人に送り、再開後の公判でも犯行を否認するに至っている。

そこで、右否認について検討すると、被告人が否認に転じたのは、犯行への関与の有無という、まさに自分が重い刑に処せられるか、あるいは無罪となるかの分かれ目となる最も基本的部分についてであって、被告人もこの点に最大の利害と関心を持っていたはずであるにもかかわらず、第六回公判期日に至るまで弁護人に対しても事実を認めていたこと、また右期日以降も、否認を維持することが可能であったにもかかわらず、間もなく再び自白に転じたように、否認の態度自体が極めてあいまいであること、公開の法廷においてはもちろんのこと、多数の関係者に対して犯行を自白しながら、後になってそれを再三にわたり変転させたことについて、被告人自身その理由をはっきり述べていないことにも照らすと、これらの否認供述はたやすく信用しがたい。特に、右兄弟等への手紙についてみると、その内容は、拘置所での生活のつらさを訴えたり、兄弟等に対して差入れ等を要求する等の記載が主で、無実を訴える部分は付随的に書かれているものがほとんどであって、いわゆるアリバイなどを含めた無実の具体的内容に関する記載は存在しない。そして、右手紙を書いた理由につき被告人が公判で供述するところにも照らすと、被告人としては、拘置所で暮らすようになってそれまでの生活が激変し、大事件を起こしたとして肉親からの面会もなく寂しかったことから、見捨てられるのを恐れ、無実を訴えた可能性が高い。また、第六回公判期日での否認についても、その直前に、極刑を望むとのM1の両親の手紙が証拠調べとして朗読されていることからすると、被告人は、これに動揺し、兄弟等への手紙に関する弁護人の質問を契機に一時否認に転じたものと考えられる。さらに、弁論が一旦終結した後に被告人が再び否認に転じたこと及び判決を一か月後に控えた時期に弁護人に前記の手紙を出したことの理由については、判然としないところがあるが、否認の態度自体のあいまいさなどに照らして、これをたやすく信用できないことは先に述べたとおりである。

そして、先にもみたとおり、被告人の自白が具体的かつ自然で信用できるものであり、これを裏づける客観的証拠も存在するのであるから、被告人の否認によっても先の事実認定は左右されない。

2  わいせつ目的の生じた時期について

被告人は、M1に対するわいせつ目的が生じた時期について、①初めて取り調べを受けた平成三年一二月一日付け司法警察員に対する供述調書においては、「M1がかわいかったので連れ出した。渡良瀬川河原まで来て自転車から下り、歩いている時にいたずらをする気になった。」旨供述していたが、②同月三日付け司法警察員に対する供述調書においては、「M1をいたずらしようと思って連れ出した。」旨供述し、その後捜査段階においては一貫して右供述を維持し、第一回公判期日の罪状認否及び第三回公判期日における公判手続の更新時でもわいせつ目的で誘拐した旨の公訴事実を認めた。ところが、③第五回公判期日の被告人質問においては、「M1がかわいかったので連れ出した。最初は渡良瀬川河川敷の児童公園で一緒に遊ぶつもりだったが、児童公園を過ぎるころに気持ちが変わり、いたずらをしようという気になり、河原まで連れていった。」旨供述し、④第六回公判期日の被告人質問においては、渡良瀬川河川敷をまわって、自転車を下りてからわいせつ目的が生じた趣旨にとれる供述をしている。このように、わいせつ目的を生じた時期に関する被告人の供述は変転しているが、被告人自身、右供述の変転について必ずしも自覚的でなく、変転の理由は明らかでない。

そこで、被告人の犯行当時の行動についてみると、前掲各証拠によれば、被告人がM1を連れ出したのは、夜七時ころであり、周辺はすでに薄暗くなっていたこと、M1は当時四歳の女児で、パチンコ景品交換所のある駐車場で一人で遊んでいたこと、被告人はM1と一面識もなく、同児のことをパチンコをしに来た客の子か近所の子だと思っていたこと、被告人は、右駐車場でM1と遊んだりせず、すぐに自転車に乗せていること、その後、直ちに駐車場南側の市道を渡って渡良瀬川河川敷へと向かい、河川敷へと下りる坂の西側にある児童公園へは向かわず、坂を下りた後は東南方向へ直進し、途中で右へ曲がって進み、道のつき当たりで自転車を停めて、M1を降ろしたこと、被告人がM1を連れ出した場所から自転車を停めた場所まで移動距離にして約六〇〇メートルあること、その後、葦の生えている場所を通って、公園などのある敷地よりも一段低くなっており、他から見えにくい低水路護岸上へとまっすぐにM1を連れていき、同所で同児を殺害し、その後服を脱がせ、死体に対してわいせつ行為をしたことが認められる。

このように、M1がわずか四歳の幼女であって、当時すでに午後七時ころで薄暗くなっており、一面識もない者が幼児を親の承諾も得ずに勝手に遊びに連れ出すような時間でないのは明らかである。にもかかわらず、被告人は同児を勝手に連れ出すという非常識ともいえる行動に出ているのであって、しかも、途中で遊んだり、寄り道をしたりすることもなく、遠方で人目につきにくい護岸上まで連れていき、ほとんど時間をおかずに殺害してわいせつ行為に及んでいるという一連の経過に照らすと、連れ出しの目的が単なる遊び目的であったとは考えられず、当初からわいせつ目的を有していたという前記②の供述が状況に沿った自然で合理的なものとして信用できる。

3  殺意の生じた時期について

被告人は、わいせつ行為をすると騒がれると思ったので、まずM1を殺害し、その後わいせつ行為を行った旨、捜査段階において一貫して自白していたが、第五回公判期日の被告人質問に至り、M1を抱き締めたところ、騒ぎ始めたので、とっさに殺害した旨供述するようになった。

そこで検討すると、前掲各証拠によれば、被告人は当初からM1を裸にしてなめるなどのわいせつ行為を行うつもりだったこと、被告人は、M1を人目につきにくい護岸上へ連れていったものの、右場所から三〇メートルほど離れた場所には公園内道路が走り、その先には野球場などがあったこと、犯行当時河川敷の公園内にはまだ人がいたこと、被告人は、M1を殺害した後、その場で小便をした上自慰行為を行い、さらに死体を移動させ、着衣をはぎ取ってわいせつ行為をし、再び自慰行為に及んだ後、死体を現場付近の草むらに遺棄し、自宅に戻ったことが認められる。

これらの事実によれば、M1を殺害することなくわいせつ行為に及んだ場合、同児が騒ぎ出してわいせつ目的を遂げることができないだけでなく、公園にいる者や公園内道路を通りかかった者に犯行が発覚するおそれがあったと被告人も当然予想していたといえる。また、M1殺害後の被告人の行動は、殺すつもりがなかったのに、騒がれたためたまたま殺害してしまった者の行動としては、余りにも冷静すぎるとの感を拭えない。そして、前掲各証拠によれば、被告人は、本件に関し最初に取り調べを受けた平成三年一二月一日の司法警察員に対する供述調書において、騒がれる前に殺害した旨自白しているのであって、捜査段階において一貫して右供述を維持し、右取り調べにおいて自らの記憶どおり調書を録取してもらっていたことが認められる。このような事情に照らすと、騒がれる前に殺害したという被告人の捜査段階における自白は十分に信用できる。

他方、騒がれたから殺害したという公判供述についてみると、印象深く記憶に残るはずのそのような事実を捜査時点においては全く供述せず(なお、被告人は、現場への引き当たり捜査の際に新たに記憶を呼び起こして供述を変更した部分もあるが、殺意の発生時点に関しては捜査当初からの供述を維持している。)、何故公判段階になって突然供述し始めたのか納得できる理由が見当たらないだけでなく、右弁解内容は先に挙げた事情にもそぐわず、信用できない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二二五条、第二の所為は同法一九九条、第三の所為は同法一九〇条にそれぞれ該当するところ、判示第二の罪について所定刑中無期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、判示第二の罪につき無期懲役刑を選択したので同法四六条二項本文により他の刑を科さないで、被告人を無期懲役刑に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中四三〇日を右刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項ただし書きを適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件犯行は、被告人が、たまたま見かけた被害者を見てわいせつ行為をしようとの気になり、甘言を用いて同児を自転車に乗せ、渡良瀬川護岸上に連れて行き、同所で被害者の首を絞めて殺害した後、わいせつ行為を行い、その後被害者を遺棄したという事案であるが、いかに成人女性と交際できないなどの事情があったにせよ、自らの性欲を満たすために、四歳の幼児を殺害して弄んだという犯行の動機は、常軌を逸した身勝手極まりないものであり、酌量すべき点は全く存しない。

また、犯行態様は、人を疑うことを知らない幼女を騙して誘い出し、人目につかない護岸上へ連れて行った上、ためらうことなく首を絞めて殺害し、その後死体から着衣をはぎ取り、死体に抱きついたり、陰部をなめたり、あるいは手指で弄んだりするなど、息を引き取ったばかりの被害者の死体を、欲情むき出しのまま、性欲を満足させるための道具同然に扱い、自らも自慰行為を行って性欲が満足されると、被害者の死体を裸のまま草むらに隠して遺棄し、着衣も渡良瀬川に投棄して逃走したというものであって、ただただ自らの性欲を満足させるために、ここまでも非情な行為に及んだという一連の経緯からは、人の生命や尊厳に対する畏敬の念をかけらも見いだすことができない。

被害者は、遊んでくれるものと思った被告人に騙されて殺害され、体を弄ばれるという辱めを受け、翌朝発見されるまで虫に食われるまま草むらの中に裸で捨てられていたのであって、四歳の保育園児として毎日が楽しい盛りであったろうということを考えると、誠にいたましく、被告人の行為は余りにもむごい仕打ちというべきである。

被害者の両親は、犯行当夜幼い娘がいなくなっているのに気づき、不安に胸がつぶれるような思いで捜し回り、一睡もせずに夜を明かした翌朝になり、娘が変わり果てた姿になって発見されたという報に接し、気を失うほどの衝撃を受けたのである。両親は、結婚二年目にして生まれた一人娘を亡くしたことで悲嘆に暮れ、殊に父親は、自分が目を離したためにこのような結果となったとして自らを責め、遺書を書いて自殺まで考えたというのであり、しかも、新天地を求めて足利市に来たばかりであったのに、今回の事件にいたたまれず、またも別の土地へと移転せざるをえなかったのであって、こうした両親が、捜査官や裁判所に対し、被告人を絶対に許すことができず、極刑に処して欲しいと繰り返し述べていることは、遺族の心情として誠に当然というほかない。ところが、被告人は、被害者の両親に対して謝罪を行うでもなく、また、公判で一時「被害者に対して申し訳ない。」などと述べておきながら、最終的には犯行を否認するなど、自己の行為を真摯に反省しているとはいえない。

さらに、足利市内においては、それまでにも幼女が連れ去られ遺体となって発見されるという重大事件が二件発生し、いずれも未解決のままであったところ、またもや同種の本件が発生し、一年半にわたって犯人が捕まらなかったことにより、足利市民、殊に小さな子供を持つ親が受けた衝撃と不安には多大なものがあったと考えられる。

以上のとおり、自己の本能のおもむくままに、抵抗する力さえ備わっていない幼女を殺害し、裸にしてわいせつ行為を行った上、草むらに遺棄した被告人の行為は、人として最も恥ずべきものであり、厳しくその責任を問われなければならない。そして、被害感情の峻烈さや本件が社会に与えた影響の大きさをも考慮すると、本件は、量刑に当たり慎重な検討を要する事案である。

次に、被告人にとって有利な、ないしは斟酌すべき事情としては、以下の点が認められる。すなわち、被告人は、パチンコを終え、駐車場で偶然被害者を見かけ、本件犯行に及んだものであり、本件が当初から計画的になされたものではないこと、被告人の知能は精神薄弱境界域で、その性格には偏りがあり、内向的、非社交的で、衝動の統制が悪く、未熟で原始的であること、本件犯行の背景事情には、被告人が性的不能のため結婚に失敗し、その後も右のような性格的・能力的問題のため成人女性と交際することができなかったことがあること、被告人は、性対象としての成人女性に接近することが困難な精神状態にあった結果、その代償として小児に性的関心を抱き、これに性的に接近する「代償性小児性愛」というべき性的倒錯の状態にあり、本件犯行が右小児性愛を動機として行われたものであること、これまで前科前歴はなく、一応真面目に稼働してきたことが認められる。

以上の諸事情を総合して勘案し、かつ、他の同種事件における裁判例とも比較検討するとき、被告人の刑事責任は極めて重大ではあるが、被告人に対しては、なお、わずか四歳八か月でこの世を去ったM1の冥福を祈ることにその生涯を捧げさせるのが相当であると思料し、無期懲役刑を選択することにした次第である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官久保眞人 裁判官樋口直 裁判官小林宏司)

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